「類比・例え」の守備範囲

類比・例えを用いた手法

「わかる」ということについて、すでに「わかっている」ことに置き換えることができた時に「わかる」という説明がある。似たような発想として、物事を考える、なんらかの気づきを得る手段として、類比(アナロジー)を使うことを推奨する人もいる。他の事象に活用可能な原則・理論に気づくために、異なる対象の共通点を見つけることを方法とする人もいる。

これらは、考え方としては似た発想に基づいている。つまり多少の差異はあるにせよ、パラレルに存在する二者の類似性を起点に、①既知の一方に対する理解を用いて未知の他方を理解する手法、②既知の一方に存在する関係性に着目して、未知の他方に存在する関係性を推定する手法、③複数の関係性の中に共通する普遍性を探ることで、多数に通用する普遍性を持った関係性(原則・理論)を導こうとする手法だ。

類比・例えは、証明にはならない

こうした手法には非常に有用であるとともに、一点留意しておくべき点がある。それは、方法論としては、いずれも有効であるが、②③の場合に示そうとしている関係性なり普遍的な関係性の証明にはならないという点だ。

例えば、②についていえば、「ローマ帝国は栄華を極めた後、滅びた」ことを持って「経済大国である米国は、滅びる」ということはいえない。③についていえば、「ローマ帝国」に「漢帝国」や「モンゴル帝国」の例を加えても、「栄華を極めた国は、滅びる」と言うことはいえない(直感的にいえば、栄華何如にかかわらず、歴史という時間は一国が存続し続けるには長すぎる。)。

類比・例えは、あくまで理解の助けや説明の面白さに止める

だとすると、物事の正しさに誠実であろうとするのであれば、類比や共通性は、物事の理解の助けや、例えの面白さとして用いるに止めるのが適切である。